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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)5263号 判決

原告 月新運輸倉庫株式会社

被告 大紀鉱業株式会社

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金四十万円及びこれに対する昭和二十九年六月一日より完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、被告は昭和二十八年二月四日訴外筒井産業株式会社(以下筒井産業と略称す)に対し、額面金四十万円、支払期日昭和二十八年四月二十日、支払地東京都中央区、支払場所株式会社横浜興信銀行東京支店、振出地東京都千代田なる約束手形一通を振出し、原告は同年二月十六日右約束手形を筒井産業より裏書譲渡を受け、次いで同年二月二十三日之を訴外高須運輸株式会社(以下高須運輸と略称す)に裏書譲渡した。然るに高須運輸は支払期日に支払場所に呈示せず、支払期日経過後に被告に対し支払を求めたが支払を拒絶された。其の後原告は高須運輸の懇請を容れ、高須運輸より本件手形を買戻し、現在本件手形を所持するものである。依つて本件手形の振出人たる被告に対し、右約束手形金四十万円及びこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和二十九年六月一日より完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだとのべ、被告の抗弁を否認し、本件手形を筒井産業が横浜戸部警察署に証拠物として提出したのは、原告より一時借受けて提出したのであつて、原告が譲渡したのではない。従つて筒井産業が本件手形の所持人となつたことはないとのべた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として、被告が原告主張の日時に原告主張の通りの約束手形一通を、筒井産業に対し振出したことは認めるが、原告が筒井産業より右手形の裏書譲渡を受けたとの点及び原告が現在の所持人であるとの点はいづれも不知とのべ、抗弁として(イ)原告が右手形の所持人となつたとしても、原告は其の後更に本件約束手形を筒井産業に譲渡し、筒井産業が本件手形の所持人となつた。それは筒井産業が本件手形の所持人として被告に対し支払を請求し、横浜市戸部警察署に本件手形の所有者として証拠物として提出し、且仮還付を受けていることからも明らかである。即ち本件手形の所持人は原告ではない。仮りに現在原告が本件手形の所持人であるとしても、それは筒井産業から再度の譲渡を受けたことになるが、この場合は手形の裏書によらない譲渡であり、然も何等対抗要件を具えていなから、譲受人である原告は被告に対して手形金の請求をすることは出来ない。若し仮りにその譲渡が有効であるとしても明らかに期限後の譲渡であるから、被告が筒井産業に主張し得る原因関係に基く抗弁を原告に対し主張し得る。(ロ)本件約束手形は被告から筒井産業宛に振出されたが、これは訴外更級工業株式会社よりの石炭購入のための前渡金として金四十万円の約束手形一通を振出すことになつたところ、右訴外会社の要求により、被告と何等取引関係なく、被告の全く知らない筒井産業を名宛人として手形を作成し、これを訴外更級工業株式会社に交付したものであり、然もその後更級工業株式会社からは契約通りの石炭の送炭がないのであつて、被告は筒井産業に対しては何等の債務を負担せず、従つてこの手形は原因関係を欠いている。原告は右の事情を知り乍ら悪意で取得したものである。(ハ)本件約束手形は原告から更に高須運輸に裏書譲渡されたが、高須運輸は支払期日に呈示を怠り遡及権を失つて従つて原告としては遡及の義務を負わなかつたにも拘らず、原告は高須運輸の遡及に応じて本件手形を受戻した。かくの如く遡及義務なき者が遡及に応じても何等手形上の権利を取得するものではない。従つて被告に対して手形金の請求をすることは出来ないとのべた。〈立証省略〉

理由

被告が原告主張の通りの本件約束手形一通を訴外筒井産業に対し振出したことは当事者間に争なく、甲第一号証の裏面の記載、原告が同号証を所持する事実及び証人高橋博、同金井博、同筒井邦平の各証言を綜合すると、原告主張の本件手形の裏書の事実を認めることが出来る。被告は本件手形の所持人は原告でなく訴外筒井産業であると主張し、成立に争のない乙第三、四号証によれば、同産業は被告等を戸部警察署に詐欺罪として告訴するに当り、本件手形の所有者として之を同署に証拠物として提出したことが認められるが、右は証人筒井邦平の証言と弁論の全趣旨を綜合すると、原告会社と筒井産業の間には密接な関係があり、本件手形が不渡になつたので同産業は原告の為に右手形を借受けて、右告訴を提起したのであつて、右の事実からすれば、同号証を以ては前記認定を覆すに足らない。次に被告の悪意の抗弁については、本件手形が被告主張の如く石炭代金支払のために振出されたものであることは証人大谷竹友の証言により之を認められるが、その石炭の送荷のないことを知り乍ら原告が本件手形を取得したことについては之を認むべき証拠がないから右主張は採用しない。

次に被告の(ハ)の主張につき按ずるに、本件手形が一度原告より高須運輸に白地裏書にて譲渡され、高須運輸が支払期日に支払場所に呈示せず、支払期日経過後に被告に呈示して支払を求めたが支払を拒絶され、その後更に原告が高須運輸より本件手形を買戻したことは被告も認めて争わないところである。然して原告が高須運輸から本件手形の交付を受けたのは、原告会社が高須運輸に対して負担する七十万円の債務の一部の支払のために本件手形を高須運輸に対して白地裏書にて譲渡した関係上、右手形が被告によつてその支払を拒絶された後、その原因関係に基いて、高須運輸がその直前の裏書人たる原告に対し支払を求めて来たために原告が之に応じて一定金額を支払い手形の交付を受けたことが証人金井博の証言によつて認められ、他に右認定に反する証拠はない。然りとすれば右事実は、高須運輸は既に遡及権が消滅したに拘らず(甲第一号証によれば原告は高須運輸に本件手形を拒絶証書作成の義務を免除して裏書したのであることが認められるが、これは高須運輸に手形呈示の義務を免除したものでないから、右義務の不履行は其の遡及権の消滅を来すは当然である)。原告に対して遡及による償還を請求したことゝなり、原告は又、遡及義務なきに拘らず、これに応じたことゝなる。そもそも適法に手形と引換に遡及義務を履行した裏書人が手形上の権利を取得するのは、裏書による手形上の権利の移転の場合と異りいはゞ手形の逆流関係上の現象として、裏書による権利移転の場合と異つた法律構成をもつものである。即ち裏書による譲渡の場合は被裏書人は裏書人の有した手形上の権利を承継することによつて手形上の権利者となるのであるが、遡及による償還をなした裏書人は、償還による手形の受戻によつて、被償還者の有していた権利を承継するのではなくて、被償還者の有していた権利とは無関係に、自己が裏書以前に有していた地位を回復することによつて手形上の権利者となるのである。従つて遡及義務を履行した裏書人が手形上の権利者となるのは、遡及権利者よりその原因関係に基いて手形を買戻したが故に手形上の権利者となるのではなくて、適法に遡及義務を履行したが故に手形上の権利者となると解すべきである。然りとすれば、本件の如く、高須運輸の遡及権は消滅しており、原告は何等遡及義務がないにも拘らず、高須運輸の償還請求に応じ、一定の金額を支払い、手形を受取つた場合には、遡及義務を履行したものということが出来ないのであり、その一定金額の支払も、手形上の権利の関係に於ては非債弁済となるにすぎないのであつて、原告は何等手形上の権利を取得せず、本件手形の所持人ということは出来ない。従つて原告は振出人たる被告に対し、手形金の支払を求めることが出来ないのであつて、此の点に於て原告の本訴請求は失当である。仍て本訴請求は之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 池野仁二)

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